「俺は会わねえぞ」 その日、義光の機嫌はすこぶる悪かった。 「アンタね、結婚相手を連れてきた娘の父親じゃないんだから」 高遠が呆れてとりなすが、義光はフイと横を向く。 「安浦さん。俺にもタバコ、一本ちょうだい」 「嫌だね。お前まだ未成年だろ。それに、タバコやめて一年経つんじゃなかったっけ? 順番が逆だが、悪いことは言わん。そのまま禁煙しとけ」 「チッ」 おまけに先輩アルバイトの安浦にたしなめられ、イライラと指先をテーブルに打ちつける。 「練習倉庫にアンタがいなかったからって、わざわざレストランまで訪ねてきたのよ。お願いだから、会ってやってよ」 「倉庫からここまでなんて、目と鼻の先じゃん。わざわざってほどの距離でもねえだろ」 屁理屈を捏ねる義光に、訳知り顔の安浦が言った。 「ははーん、義光。シフトに入ってるわけでもないのに、なんでわざわざ“エメラルド”の休憩室に居やがるかと思ったら、さてはお前、会うのが怖くて倉庫から逃げてきたな」 「ちげえよ」 安浦に図星を指された義光の、テーブルを弾く指の動きが一段と速くなる。 「第一さ。年下のお守りなんて、晴には荷が重すぎんじゃねえの。最近、俺達といる時間もめっきり減っちまったしさ。バンド活動にまで支障をきたすようになっちゃ、困るだろ?」 聞いた途端、安浦が堪らず噴き出した。 「おいおい。まさか晴を盗られたのが面白くなくて、面会拒否してんじゃないだろうな。そうだとしたら、保護者を気取ってるわりには、お前もまだまだ青いねえ。なあ義光、考えてみたのか? お前が見つからなくて今頃心細い思いをしてるのは、お前とは面識も無い弟の方か、それとも弟の手を引いてお前を探し回っている兄貴の方か」 安浦の言葉に、苛立たしげにテーブルを叩いていた義光の指がピタリと止まる。 「……晴」 義光が慌てて顔を上げるのを見て、高遠が休憩室のドアノブに手をかけた。 「オガ先輩、ごめんなさい。俺、バンドの練習にはちゃんと出るから」 開いたドアの向こう側に、晴が身を縮ませて立っていた。萎縮していつもより小さくなっているが、それでも身体の後ろに、自分よりもっと小さな人影を庇っている。 「じゃあ、俺。休憩終わったから、フロアに戻るわ」 義光が口を開く前に、灰皿に吸い殻を押しつけていた安浦が立ち上がった。休憩室を出て晴とすれ違いざま、晴の肩に軽く触れる。 「頑張れよ―― お兄ちゃん」 安浦が通り過ぎると、晴の背筋がピンと伸びた。今にも泣き出しそうだった口の端の震えも治まり、義光を真っ直ぐ見据える。 晴の変化を目の当たりにした義光は、自分が折れるしかないことを悟った。 幾つになっても泣き虫で、子供っぽく可愛いばかりの晴がお兄ちゃんになったのだ。いつまでも手元に置いて庇護したい気持ちはやまやまだが、義光には羽を広げて巣から飛び立とうとしている若鳥の邪魔をする権利は無い。 「晴、入ってこいよ。お前の義弟、紹介してくれるんだろ?」 「うん」 固く結ばれていた晴の唇が、ここにきてようやくほころんだ。 晴の義弟になった子供は、十一才だと聞いた義光が想像していたものより、はるかに貧弱な容姿をしていた。自分の九才の双子の弟妹と比べても背が低く、ひどく痩せている。 まるで何かの拍子に巣から転げ落ちてしまった、羽も生え揃っていない雛のようだ。 その姿が、義光を油断させた。 「名前はタイシ…… 大志、だっけ? ちゃんと食べてるのか? お前がみっともない格好でいると、悪く言われるのは晴と雨以さんだ。家族になったんだから、二人の顔に泥を塗るような真似はするなよな」 「……」 鷹揚に言った義光だが、大志からの返事はない。 「そうだ。せっかく俺に会いに“エメラルド”まで来たんだから、初対面(はつたいめん)の記念にパフェでも奢ってやろうか」 「……」 「おい」 「タイシ、どうした? あのね、先輩。いつものタイシは、とってもいい子なんだよ」 「どうだかな」 義光と大志の間に挟まれた晴が再びおろおろしだしたので、仕方なく、というふうに大志が口を開いた。 「……ない」 大志の態度が気に入らない義光は、わざと大声で聞き返す。 「あ、なんだって?」 「義兄さんを泣かせるような真似をする奴からの施しは受けない」 「はあ!? 生意気は、その義兄さんの背中から出てきてから言いやがれ」 非力な子供だと同情し、無理矢理に捻り出した仏心を台無しにされて頭にきた義光が、ジロリと晴の背後を覗き込んだ。 それを受けて、大志は晴の洋服の裾を握りしめたまま、ギロリと義光を睨み上げる。 負けじと義光が目に力を込めると、不格好に切り揃えられた前髪の下の大志の目尻もつり上がった。 ジロリと睨めば、ギロリと睨み返される。 「おい、タカ! 俺は、晴がこいつのお兄ちゃんになるなんて、絶対に認めねえからな!!」 その日、義光の機嫌が直ることはついになかった。 2015.09.28 |